アマチュアがプロ棋士に二子で対局するのは、相当の棋力でないと実現しない。プロ側も二子局でアマチュアに負けるわけにはいかないから、真剣になる。
島村は、川端父娘と面識はないが、葉子の名前は知っていた。たしか、大学生や高校生をまじえたアマチュアの囲碁大会で何度か名前を見たことがあるし、昨年の関西女子アマ大会で優勝したはずだ。
「新春の対局だから、葉子さんに花を持たせたいところだが、理事長の心中を思うと、そうもいかない。かといって、コテンパンにやっつけるというのもなあ…それに、わが社にとっても、理事長をがっかりさせるのは社業にも影響しかねない」
正岡は、経営者らしく、最後は本音が出た。
この高級ホテルの部屋を借り切り、多人数を招待するのに、正岡は相当の出費をしたに違いない。それだけ理事長の存在を重要視しているということだ。
島村は葉子の棋譜を並べたことはないが、女子アマクラスの優勝者程度なら、二子ではまず負けることはないだろうと思っている。
「島村君、今日は真剣に対局してもらって構わないが、全滅させたり、ハメ手のような品の無い碁はやめてくれ。しかし、負けるなよ」
「負けるな、ですか」
島村が、そう問い返したとき、入口付近が騒がしくなり、川端理事長と関西棋院の北川九段らが入って来るのが見えた。
「島村君、理事長がお見えになったようだ」
正岡は立ち上がって、川端理事長を迎えに歩み寄った。
「おう、正岡社長」
そう言って片手を挙げた大柄の男が川端理事長で、仕立てのよいダークスーツを着込んでいる。その背後に、ともに和服姿の夫人と若い娘が並んでいた。
「理事長、明けましておめでとうございます。これは、奥様もご一緒とは、嬉しい限りです」
正岡は、夫人に丁寧に頭を下げた。
「社長、女房の駒子と娘の葉子ですわ。それに北川先生に今日の立会いをお願いしましたんや」
それぞれに挨拶を交わしたあと、正岡が「葉子さんのお相手をする島村君です。新鋭のチャンピオンで、今年は名人と本因坊戦のリーグ入りが確実という強豪ですよ、お嬢さん」と、葉子に島村を紹介する。
「はじめまして。川端葉子です。島村先生の大ファンで、今日はとても楽しみにして参りました」
葉子は、島村の目元ぐらいの背丈で、長い髪を和服に合わせてアップにしている。黒目がちの大きな瞳と濃い眉は母親譲りなのだろう。薄く化粧しているためか大人びた印象で、とても高校生には見えない。
「あと三十分で午前十時になります。それまで休憩していただいて、十時から対局を開始します。持ち時間は三時間。途中、正午から三十分間休憩時間をとりますが、葉子さんは持ち時間を使い切ると一手一分以内に打たなければなりません。島村君は時間切れになると負けになります」
北川九段が対局のルールを説明し、島村と葉子はあらためて軽く頭を下げ合った。
正岡と川端夫妻らがワインを飲んだり、雑談を交わしている間に、対局の準備が整えられ、島村と葉子が碁盤の両側の椅子に座った。