企業が時代を超えて生き続けることは容易ではない。
堂島の米市場を創設し、全盛期には総資産約二十億両(約二百兆円相当)とまで言われた淀屋は、わずか五代百年で滅んだ。
「日本の富の七分は大坂にあり、大坂の富の八分は鴻池にあり」と称された両替商鴻池も、明治維新後は振るわなかった。
ましてや淀屋、鴻池に及ばぬ群小の商人(あきんど)などは、時代の荒波の中で、生まれては消えていくのが実状だった。
しかしその中で、江戸期に名を知られた豪商で明治後も財閥として栄えたものもいる。東の三井、西の住友が代表格だろう。
三井は、伊勢松坂出身の三井高利が、江戸で呉服の「現金掛け値なし」の新商法を始めたことで興った。一方住友は、京都の銅吹業者泉屋が大坂に進出したことから始まった。
ここでは大阪の看板企業として、住友の栄枯盛衰について述べてみたい。
他の企業に比べて住友が特徴的なのは、創業者に当たる人物が二人いることである。それを家祖と業祖という。
家祖とは家系上の祖という意味で、住友政友(まさとも)のことを指す。政友は元僧侶で、彼の遺した多くの訓(おし)えが、後の住友の経営理念となった。
業祖とは、業務上の祖という意味で、蘇我理右衛門のことを指す。理右衛門は「南蛮吹き」という、銀銅吹き分けの新技術を会得して、住友の銅精錬業の基礎を築いた。
この二人の人生が交叉して、後の巨大企業住友が誕生した。理右衛門は政友の姉を娶ったので、この二人は義兄弟になる。
理右衛門は妻との間に四男二女をもうけたが、長男の理兵衛友以(とももち)を義弟の政友の婿養子にし、蘇我家は次男の忠兵衛に継がせた。
この辺りの機微は義兄弟同士でしか分からない。おそらく、住友家と蘇我家の関係をより強固にしたいという思いではないか。それが二人の絆だったのだろう。
理兵衛は婿養子ながら独立して一家を構え、住友の名で銅精錬業を営んだ。ところが理右衛門の死後蘇我本家の方はふるわず、理兵衛の系統が栄えたので、結果的に住友家が本流として後世に名を遺したのである。
さて、それでは彼らの人生をくわしくみてみよう。
住友政友の祖父住友若狭守政俊は、柴田勝家に仕え、越前丸岡城を与えられていた。しかし若狭守政俊は賤ケ岳の戦いの後自刃し、子孫は流浪した。
慶長元年(一五九六)、政友は母の小仙、姉のお栄、兄と京都に上り、下京高辻通り新町西入ルに住んだ。当時政友はおよそ十二歳だった。
一方、蘇我理右衛門は河内国五条(現在の東大阪市の東部)の出身で、ごく若い頃から銅吹きと銅細工の修業を積んで腕を磨いた。
天正十八年(一五九〇)十九歳の時に上京し、京都寺町五条に小さな店を構えた。秀吉による大仏建立計画があり、全国から職人が京都に集まっていた時期だ。
政友が家族と上京した時、理右衛門は二十五歳になっており、銅吹き職人としても一流という評判だった。
ちなみに住友氏と蘇我氏には縁がある。足利十二代将軍義晴の近習で従五位下備前守に任ぜられた住友頼定の子孫が、河内の蘇我氏だという。
もちろん、血縁というほどのつながりではないが、お互いに親しみがわいたはずだ。
理右衛門はこの家族に好感を持ち、何とか力になりたいと思ったのではないか。幼い少年政友の利発さや、姉のお栄の美しさにも心惹かれたであろう。
こうして理右衛門は、大黒柱のいない家族の庇護者の役割を果たすことになった。そして両家の関係が深まるうち、ごく自然に理右衛門とお栄の縁談がまとまった。
このまま順調にいけば、政友も銅吹きの見習いの職人になったかもしれない。だがここで、政友の運命を大きく変える人物が登場するのである。
その人物とは、当時の新興宗教であった涅槃宗の開祖、空源(くうげん)という僧侶である。
涅槃宗は空源が無師独悟、つまり独学で興した宗派で、涅槃経と法華経を根本経典とする。どちらも、一般の民衆を救済する大乗経典である。
新宗教の開祖はみなそうだが、空源も自らがつかんだ真理への確信と、伝道への激しい情熱を持っていた。この頃空源は京の晴明町に庵を結び、毎日説法をしていた。
その評判を聞いた小仙が息子の政友を連れて、空源の庵を訪れた。空源はいつものように説法をした後、政友に懇ろに声をかけ、母と共に弟子になるよう勧めた。
こうして二人は出家し、母の小仙は妙慶、政友は空禅(くうぜん)という法号を授けられた。空禅は師の許で修行に励み、師の空源もその利発な性質を愛し、その将来に期待した。
空源は情熱的な説法で、教勢を拡大していった。信者は日に日に増えていったが、わけても後陽成天皇から帰依され、及意(きゅうい)上人の法号を賜ったのは大きかった。
庵のあった晴明町には、本山涅槃寺が創建された。さらに大坂、堺、摂津荒牧、近江川辺にも新たに寺を開いた。まさに日の出の勢いだった。
ではその間、理右衛門はどうしていただろうか。実は彼は、「南蛮吹き」という銀銅吹き分けの新技術の研究に没頭していたのである。