シンワの歴史
シンワの創業から現在までのストーリーをご紹介します。
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昭和21年
創業
第二次大戦直後の大阪市内で、シンワの原点である「奥和商会」誕生。
故 和田豊治会長
故 奥田宇三郎専務
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昭和25年
法人設立
進和荷材株式会社設立。ダンボールの販売をスタート。戦後復興期の日本の輸出品の花形であったミシンの外装箱類、貿易に使われる箱類の販売で売上を伸ばす。
大阪・天王寺区の和田会長自宅(当時)
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昭和33年
紙バンドのヒット
全購連(現在の全農)の指定業者に
奈良工場を新設。ダンボールを結束する「紙バンド」の製造を開始し、専門商社プラス、メーカーとしても旗揚げ。全購連(現在の全農)の指定業者となり、同時期に大手家電や食品メーカーと取引きを開始。高品質な紙バンドが爆発的にヒットする。
昭和33年ごろの松屋町筋の風景
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昭和36年
高槻市にダンボール工場新設
大阪府高槻市にダンボール工場を新設し、日本工業規格(JIS)を取得。関西有数のダンボールメーカーとしてシェアを伸ばしながら、優良メーカーとして地域に認知される。
昭和36年に新設された高槻工場
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昭和40年
本社を高槻市に移転。
高槻工場落成式の様子
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昭和44年
包装資材事業創設
ダンボール事業部に加え、包装資材の卸販売を行う包装資材事業部の2事業部体制をスタート。この年の前後に全国ネットの充実を図り、営業拠点を広範囲に拡大。
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昭和48年
アグリシステム部の前身が誕生する
農業用のビニールハウスの内部を間仕切ることで2重の空気層を生み出し、大幅な省エネを叶えるハウス用カーテン『シンワカーテン』誕生。現在のアグリシステム事業の草分けとなる。これ以後、長年に渡り南九州のハウス園芸地帯でこのシンワカーテンが使われ、トップシェアの地位を確立する。
新築された本社屋(昭和48年)
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昭和51年
機械事業部創設
独自に開発を進めてきた大型フィルム包装機、『FA-41-750T』が東京国際見本市で高い評価を受け、機械事業部を新設する。この2年前よりフィルム包装の可能性に時代に先駆けて着目し、機械の開発に挑んできた努力が実を結ぶ。
東京国際見本市で発表したFA-41-750T型四方シール機
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昭和58年
シンワ株式会社へ社名変更。京都工場を新設し機械事業部を移転。
シンワのマークとロゴ
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平成元年
包装資材事業部が単独売上100億円を達成。
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平成12年
創立50周年
全社員250名が集まり、有馬温泉にて祝賀会を開催。
有馬温泉のホテル庭園で撮影
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平成20年
ダンボール工場閉鎖
「包装トータルプランナー」として新たにスタート
平成に入りものづくりのグローバル化や構造改革が進み、より付加価値の高い事業に注力する「選択と集中」という理念のもと、ダンボール事業を譲渡する経営改革を断行。平成20年、40年以上に渡り膨大な量のダンボール製品を製造してきた高槻工場を閉鎖した。
業績好調を続ける包装資材事業部、機械事業部に経営資源を集中させ、全国ネットで「包装トータルプランナー」の旗を大きく掲げる企業へと目標を新たにする。社内報「シンワNEWS」
旧高槻工場内部
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令和元年
アグリシステム部創設
日本政府は「未来投資戦略2018」で「世界トップレベルのスマート農業の実現」を掲げ、令和元年から本格運用を開始。当社もそれを受け、独自に企画・開発した農業用ビニールハウス向けのスマート設備、ハウス統合環境制御システム『グリーンラボⅡ』の販売を開始。熊本営業所でアグリシステム部を立ち上げる。グリーンラボⅡは農業県熊本でトップクラスのシェアを獲得。長きにわたり掲げてきた「包装のトータルプランナー」のキャッチフレーズに、「アグリシステムプランナー」を新たに加え、全社一丸となり挑戦し続けています。
熊本営業所(アグリシステム部)
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